WRITE THE LIGHT

溟犬一六のWEB小説

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夢幻小指

やや長め、ややグロのショートショート

読了目安:20分

 

ビジュアルノベル版を作ってみました。

・吉里吉里製

・動作環境:Windows PC

 

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 学校から帰宅するなり夕食を断った。自室に戻り鍵を掛けた。
 陽が落ちた部屋はいつもより暗く、静かに感じられる。鼓動がうるさい位に響いている。
 私は制服のスカートのポケットからハンカチを取り出した。じっとりと濡れている。
 デスクライトを点けた。細かいほこりが明かりに照らされて舞っている。ライトの下にハンカチを置いて、そっと広げた。私はそこにあるものを右手の人差し指と親指とでつまみ上げた。
 目の高さまで持ち上げ、それを見つめた。
 指だ。
 私は今、自分の指で、切断された小指をつまんでいるのだ。血のこびりついた、もうすっかり冷たくなった小指。ああ、これが彼の指だ。小さな爪が可愛い。前から男子とは思えない綺麗な手だと思っていたけど、近くで見たらうっすらと毛が生えているし、ほんの少しのささくれもある。作り物みたいな転校生だと思っていたけど、彼はやはり普通の男子だったんだ。
 そっと、彼の関節を撫でた。色んな角度で眺めた。指の根元の、断面を見つめた。白い骨が桃色に染まっている。赤い肉が花びらのように映る。
 私は今、彼の内側を覗いているのだ。自然とにやけてしまう。
 携帯のカメラで写真を撮った。彼の小指とツーショットの記念写真だ。ああ、顔が熱い。
 撮ったばかりの画像を眺めた。私の顔の横に、小さな彼が写っている。だけど、血で汚れたために真っ黒だ。こんなに可愛らしい小指なのにもったいない。
 洗いに行こうか。考えて止めた。母に見つかってしまう。
 私は彼の指に唇を近付けた。鼻息が荒くなる。鉄のにおいがする……でもくさくない。彼のにおいだ。たまらずしゃぶった。そうよ。彼の指だもの。汚くない。口の中に鉄の味が広がった。舌先で爪を縦になぞった。固まった血が粉っぽく溶けていく。
 赤ん坊になった気分だ。一生懸命にしゃぶった。
 ハンカチの上に指を出した。唾液で濡れた小指が、いやらしかった。彼を自分のものにしたような優越感があった。
 次の瞬間、涙が溢れてきた。ハンカチの上に突っ伏した。鼻先に彼の小指を押し付けた。
 こんなに好きなのに。私が出来たのはこんなことだけ。
 苦しかった。手を握り締めた。脳裏を、彼の顔がよぎった――。
 
 学校の裏山には祠(ほこら)がある。そこには悪い神が眠っているとされていて、近付いた人は気が狂うという噂があった。
 事実、こんな小さな田舎町なのにやたらと精神を病む人が多く、もう何人も中央の病院へまわされ、その後戻ってきていないというのを聞いたことがある。そういった人は今頃、ひとけの無い山奥の建物に収容されているのかもしれない。
 放課後、初めて私は祠の元へ来た。彼と二人きりで会うための待ち合わせ場所に選んだのだ。転校してきたばかりの彼は、祠のことをまだ知らないだろうから。
 夕暮れの光が紅葉に遮られ、周囲が暗くなる。葉を揺らす風が途端に冷たくなったように感じられて、カラスがやたらとうるさかった。
 祠があるとされている場所には、何の変哲もない百葉箱が置かれているだけだった。悪い神のことなど初めから信じていなかったし、彼のことを考えていたから、噂のことなどすぐにどうでも良くなった。
 程なくして彼は現れた。詰め襟の学生服に学生鞄を提げて、和やかに微笑んだ。テノールの澄んだ声で「急に呼び出して何の用だい」と言った。
 長身で、黒髪にはなだらかなウェーブが掛かっている。長い睫毛から栗色の瞳が覗いている。唇の赤みが、透き通るように美しい。こんな転校生、映画でしか許されないのではないか。お人形みたいな人だった。
 私は何も言わず近付くと、彼の左手を手元へ引いた。そして彼の小指にペンチの刃をあてがった。彼の利き腕の小指だ。
 彼はじっと、私を見ていた。表情は変わらなかった。微笑みが張り付いていた。
 あの目はなんだろう。冷たい目だった。私を女と思っていない、人間だとも思っていない、そんな目だ。
 涙が込み上げてきた。私はこんなに彼のことを好きなのに。彼は私を別世界の「物」のように見ている。
 右手に握るペンチに力を込めた。小指だからだろうか。骨の感触はあまり無かった。信じられない程簡単に、ソフトビニルの人形のように切れた。切り口からは血が水のように垂れ落ちた。彼は何も言わなかった。微動だにしなかった。
 私は逃げた。
 彼の小指を握り締めて、振り返った。辺りは薄暗いはずなのに、彼の様子がよく見えた。まるで白く浮き上がっているように、よく見えた。
 彼は私を見ていた。彼は百葉箱の前に、そのまま立ち尽くしていた。残った指先から血を滴らせていた――。
 
 あらためて思う。
 私は、とんでもないことをした。
 デスクライトの薄明かりの中、私は溜め息をついて、鼻先に彼の爪を感じた。嗅いだ。さっきまで口の中に入れていたから、つばの臭いがした。前歯で彼の爪を引き寄せた。吸い込んでまたしゃぶった。冷たい……温めてあげる。
 ああ。私はこんなに彼を好きなのに。彼は私をなんとも思っていなかったのだ。
 彼を舐め回していると、扉をノックする音が聞こえた。舌の動きを止める。母だろうか。扉の向こうから声がした。
「入るよ」
 テノールの響き。信じられない。聞き違えるはずのない、彼の声だった。私は小指を口に含んだまま、扉を凝視した。鍵を掛けたはずなのに、ドアノブがゆっくりと回転し、扉が開かれていく。デスクライトだけの部屋に、廊下から光が差し込む。やはり、そこには彼がいた。
 彼は扉を閉め、私の目前に歩み寄った。張り付いた微笑みが私を見下ろす。瞬間に彼の手元を見た。四本指の手は、赤黒く汚れていた。
「ここまでしてくれたのは君が初めてだ」
 私は立ち上がり向かい合った。
 彼は、右手の平を私の口元に差し出した。私は上目遣いに、口内から小指を返した。
「ごめんなさい」
「……いいんだよ。こんなもの」
 彼は指を放り捨てた。なんてもったいないことを! だけど彼に見つめられて、何も喋ることができなかった。
 気付くと、私の左手は彼の右手に包まれていた。彼の手は温かかった。
 こんな私の手を握ってくれるなんて……私は信じられなくて、また涙が込み上げてきた。彼の指先が、私の指を優しく撫でているのを感じる。
 私の瞳を、彼の瞳が見つめている。
 彼は、私の手の平を上に向かせた。続いて、私は指に固くて冷たいものを感じた。
 手元に視線を移すと、彼は私の小指にペンチをあてがっていた。明るい声で、彼は言った。
「小指が無いと、物を強く握ることができないんだ。知らなかったろう――ところで君は、これから指を切り落とされるというのに、どうして笑っているんだい」
 分からなかった。どうしてか、笑みがこぼれてくるのだ。
 しばらく彼と見つめ合っていた。ふいに彼の瞳が、私の瞳から下へと向けられた。一瞬の内に、私の小指は切り離された――。
 
 気付いた時には、私はベッドの上だった。視線の先には白い天井が広がっていて、消毒液の臭いを感じた。ああ、ここは病院だと直感した。すぐに、母の声が響いた。横を向くと、点滴のチューブのすぐ向こうに母がいた。
 もうずいぶん長く眠っていたのだと、母は説明してくれた。私はあの日、自室で気を失っていたらしい。左手の小指が切断され、大量の出血があったという。
 横たわる私のすぐ近くに、血まみれの小指が落ちていたそうだ。
「何も心配しなくていいのよ。あなたは大丈夫だから。あの日、あなたが夕ご飯食べないって言うから、私は心配して部屋を覗いたの。発見が早かったのが良かったのね」
 私は左手を持ち上げた。白い包帯で固められた左手には、指が確かに五本ある。
「くっついたの?」
 尋ねると母は押し黙った。せっかく、彼が切り取ってくれたのに?
 しばしの沈黙の後で、低い声が響いた。
「もう少し落ち着いてから話した方が良いでしょう。これ程長く眠りについていたのは、精神的ショックが強かったためと考えられます」
 気付かぬ内に、そばに医者がやって来ていたらしい。いや、気付かなかっただけで、起きた時から医者はそばにいたのかもしれない。白髪の混じった頭、皺の深い顔だが、若々しさがある。柔和な表情が私を安心させた。おそらくここは中央の病院だろう。指を元に戻すなど、きっと難しい手術に違いない。
 医者の隣に、もう一人男が立っている。彼は言った。
「しかし、良いタイミングだ」
 スーツ姿で、アイボリーのロングコートを脇に抱えている。四十代くらいだろうか。手入れされていない髪に無精髭。病院に似つかわしくない不潔さだ。
 良いタイミングとは、どういう意味だろう……ああ、それにしても私はどれ程眠っていたのだろう。体がだるかった。
 ふと、『彼』の瞳が蘇った。張り付けた微笑みで私の小指を切断した彼……彼は私を残してどこに行ったのだろう。それを知りたくてたまらなくなって、私は尋ねた。
「指のこと、彼のこと、今聞かせていただけますか」
「あらこの子ったら変なこと言って。彼って誰のこと? いいじゃないのそんなことは。今はまだ休んでいて、ね?」
「お母さんは黙っててよ」
 医者も私をたしなめようとしたが、横にいた不潔な男がどういう訳か医者を説得にかかった。しばしの沈黙の後、根負けしたらしい医者が言った。
「では、私が君に現状をお伝えするために、まず君から、当時の状況を詳しく話してもらえますかな」
 私はすべてを話した。祠に行ったこと。彼の指を切ったこと。彼の指と記念撮影をしたこと。彼が部屋にやって来たこと。
「ああ、なんてこと!」
 母は泣き崩れた。金切り声で、途切れ途切れの調子で医者に訴えた。 
「嘘なんです先生。この子は気が動転して、うわごとを言ってるだけなんです!」
 そうか。母は、私が祠に行ったので気が狂ったのだと考えているのだ。我が子が精神病院に入れられると恐れているのだろう。血相を変えて叫んでいる。
「嘘なんです先生、刑事さん!」
 私は医者の隣の男を見た。この不潔な男は刑事なのか。なるほど、私は人の小指を切断したのだから、立派な犯罪者だ。
 刑事を見た。感情の無い黒い目が私を覗いている。物を見るような目だ――彼の目に似ているかもしれない。刑事は口元を歪めて、粘ついた笑みを浮かべた。
「携帯電話は盲点だったな」
 母は駆け付けた看護士になだめられながら外へと連れ出された。それと一緒に刑事と呼ばれた男も部屋を去った。私を捕まえなくて良いのだろうか。いや、どうせこの状況では逃げられないか。
 途端に部屋は静かになる。
 外をカラスが騒いでいる。夕暮れ時だろう。朽ちた百葉箱が思い出される。
 母の喚き声が遠くなって消えると、医者が口を開いた。
「今までの話は、すべて事実かな」
「本当です」
 医者は頷くと、指の手術について語り始めた。鋭利に切断された指はまだ手術しやすいこと。母が速やかに指を冷やす処置をとったことが功を奏したこと。術後はギプスで手を固めて回復を待つのだが、眠っている間にその必要が無くなるまでに回復したこと。これから指を動かすリハビリが必要になること。
「切断のあった日、あれは本当に時間が無かった。判断の猶予が無かったのだ。君のお母さんの願いに従い、私は指の再接着に踏み切った。そう……その、君のお母さんとは旧知の仲でね、本来は医師として――」
「私の指のことは分かりました。そんなことより、彼の指はどうしたんですか? 私の指なんてどうでもいいんですよ。彼の指を返してください。部屋の中にはもう一本、他人の小指が落ちていたはずです。あれは私のものです」
「……もう分かっているとは思うが、さっき一緒にいた男は刑事でね。個人的に世話になったことがあって、今回の件も彼に相談したのだ。しばしばここを訪れていたのだが、今日は折よく君が目覚めたという訳だ。きっと今頃、君の話が本当かどうか確かめている最中だろう」
「調べる必要は何もありません。さっき説明した通りです。私は彼の指を切ったんです。悪い神様のせいにはしませんよ。だって祠に行く前から、彼の指を切ることは決心していたんですから――ねえ、早く返して……早く返してよ!」
 両手を振り上げて、ベッドに叩き付けた。精一杯の力を込めたのに、弱々しく埃が舞うだけだった。点滴のチューブが揺れる。体中に嫌な汗を感じた。
「君が長く眠っていてくれて良かった。もしギプスを付けている時にそんな激しい動きをされたらと思うと、ぞっとする」
「返してよ……彼の指を」
 私は目をきつくつむって顔を覆った。医者の溜め息が聞こえた。
「部屋に落ちていた指は、一本しか無かったのだよ」
「一本しか無かった? じゃあ彼が自分の指を持ち去ったというのね! こんなものどうでもいいなんて言ってたのに、ひどいわ! 彼を捜して! 刑事さんに言って、彼を捜して!」
「君は、ペンチを握り締めていた」
 息が止まった。意味が分からなかった。
「何を、言ってるの?」
「君のお母さんが言うには、君が部屋で気を失っているのを発見したその時、君は右手に血で濡れたペンチを握り締めていたとのことだ。左手の小指はすでに切断されていた。すぐそばに、小指が落ちていた」
「……嘘よ」
「君が担ぎ込まれたあの日、君のお母さんは動転していた。ありのままを話してくれたはずだ。とても嘘をつくとは思えない」
「私が、どうしてペンチを――やっぱり、お母さんよ」
 母が嘘をついているとしか思えない。部屋に二人分の小指が転がっていたら大事件になってしまう。それを隠すために、私が自分で自分の指を切ったことにしたのだ。
 大体、もしも母の言うことが本当だとしたら、あの刑事は一体何を調べているというの? さっきこの医者は、「刑事に今回の件を相談した」という言い方をした。母の言う通り、私が自分で指を切ったのだとしたら、相談する相手は刑事でなく、精神病の専門家だろう。
 馬鹿らしい。私の指を切ったのは彼だ。それだけは疑いようのない事実だ。だからこそ、刑事が動いているのだ。
「みんなお母さんの嘘よ。私はあの瞬間、彼と一緒にいたのよ。そうだ、携帯を調べてくれたら分かるわ。そこに彼の指が写っているはず」
 その提案と同時に、部屋へ看護士が入ってきた。
「先生。先程刑事さんからお電話がありまして、お二人への伝言です」
「何と言っていた?」
「ええと、『携帯電話のメモリには、それらしい写真のデータは残されていなかった』と。それから、『学校に問い合わせた。最近転校してきた生徒など存在しないと伝えてくれ』とのことで」
「嘘よ!」
 叫んだ。何度も叫んだ。
 柔らかな髪、深い睫毛、栗色の瞳、綺麗な唇――舌先の小指の感触。
 全部夢だというの? 全部幻だったというの?
「落ち着くんだ――伝言ありがとう。君は下がりなさい」
 私の肩に温かい手が置かれた。私は医者の顔を見た。
「お願い信じて。私は、彼の指を切ったのよ。彼が私の指を切ってくれたのよ――私は正気よ。私は彼といたの……もし、全部私がやったと言うなら、あの刑事さんは私が眠っている間、何を調べていたというの? 今何を調べているというの? 変よ……みんながおかしいのよ」
 もう、何も分からない。
「教えてよ……何が起こってるの?」
「今はまだ確かなことは言えない。だからあの刑事が動いているのだよ。君が眠っている間、彼は町中を走り回って捜査を行ったのだ。そして今しがたの君の証言も合わせて辿り着いた事実は一つだけ――君以外に、あの日あの町で指を怪我した人間は存在しないということだ」
 嘘よ。嘘よ。嘘よ。痛いほどの鼓動が耳を打っている。医者は私の左手を両手で包み込んで私を見つめた。鼓動を押しのけて医者の声が響く。
「落ち着いて聞いて欲しいと言っても無理かもしれない……君の部屋には、君と、君の家族以外の指紋は残されていなかった。これも確かな事実だ」
 医者の視線が、私の指を切断したあの時の「彼」と同じようにして、手元へ移る。やがてゆっくりと包帯をほどきながら、医者は弱々しく呟いた。
「だからこそ、私も教えて欲しいのだよ――」
 包帯が取り除かれた瞬間、涙が溢れてきた。私は鼻水をすすりながら、たまらず医者の手を振りほどき、小指にむしゃぶりついた。
「――私が取り付けた小指が誰のものなのか、君の小指がどこへ消えたのか」

 

 

(おわり)

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