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溟犬一六のWEB小説

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おもちの家のとある日の風景

のんびり系のショートショート

読了目安:10分


 臼の中の白いもの目掛けて、杵を振り下ろす。体の芯から熱が沸き上がってくる。その熱は機関車の蒸気のように、口から吐き出された。
 俺は一心不乱に、庭でおもちをついている。父がおもちをほぐす係だ。さっきは父がついていた。その時は俺がおもちをほぐしていた。
『もちつかざるもの食うべからず』
 父の妙な口癖であって、記念日や法事なんかの際におもちを一家でつき合うのが、我が家の決まり事だった。
 臼の中のもち米はだいぶおもちらしくなってきた。汗を拭い空を見上げる。青を漂う白い雲を、鋭い鳥が切っていた。冷たい風は冬の匂いがした。
 ふと横を見る。ポニーテールを揺らしながら、うっとりとした表情で臼の中を見つめている。我が妹ながらかわいいやつだ。オーバーサイズのオーバーオールの着こなしも見事だ。
「ほら、次はお前の番だ」
 俺は妹に杵を差し出した。
「えー、いやだ。めんどくさーい」
 妹はつんとそっぽを向いた。家族の中で誰よりおもちが好きなくせに、腹の立つ奴だ。このへそ曲がりめ。
 その瞬間、空気が変わった。肌がひりつき、心臓が脈打った。この変化は……反射的に父を見た。瞳が重く暗い光を帯びている。
 冷気を帯びた空気が刃となり、俺に、妹に、そしておもちに突き付けられる。
 父は張り詰める空気を震わせる、低い声を放った。
「もちつかざるもの食うべからず――家訓を忘れたのか」
 あれは家訓だったのか……。意外な事実に、目の前に広がる景色が色づいて見えた。
「お兄ちゃんがくれるから、良いもん」
 俺は「どうしてそうなるんだ、やらないぞ」と言うと妹は頬をふくらませた。しばしの沈黙の後、妹が声をこぼした。
「いいもん」
 どうしていいんだ? 尋ねると妹は返した。
「お兄ちゃんからもらうもん!」
「だからやらないって!」
 押し問答を続けていると、父が怒った。
「やめねえかみっともない! おもち様の前で失礼だぞ!」
 おもち様? この白いのはそんなに目上の方だったのか。
 父の顔があまりにも真剣だったので、俺も妹も縮こまってしまった。この父はおもちに対して過去に一体何があったというのか。
 一つ唸った父は縁側に腰を掛けた。
「仕方あるまい。相撲で決めな」
 なぜだ! とは言えない雰囲気だ。父という名のルールブックにより、もし俺が負けたら大事なおもちを妹に渡さなければならないという理不尽な取り決めがなされた。もちろん俺が勝てば妹はおもちにありつけない。それを聞いた妹の気合いの入りようといったらなかった。四股を踏もうとして、ふらついている。
 弱ったな。憎たらしいがかわいい妹に、おもちを食わせてやりたい思いが、それこそ焼きおもちのように膨らんでくる。
 ――駄目だ!
 情けは無用。おもちがかかっているんだ。手を抜いてはいけない。
 腰を落とし低い姿勢で向き合う。小さい妹は眉間にしわを寄せ、歯を食いしばり俺をにらみつけている。真剣そのもの。風に揺らぐポニーテールが侍のたたずまいを想起させる。
 雲が太陽を隠し、吹きつける風の温度が急激に下がっていく――だが心地好い。なぜなら、妹から発せられる闘気が熱を帯びているからだ。
 妹め。よほどおもちが食いたいのだろう。だが、ここは兄としての威厳を見せねばなるまい。
 もちつかざるもの、食うべからず。
 芝を踏みしめ、太ももの筋肉が収縮する。
「はっけよい、のこった!」
 父が持つ杵が勢いよく振り上げられ、妹が猛突進してくる。
 ――頭から突っ込んできた妹を真正面から受け止める。踏ん張る両足が芝をめくり上げる。愚か者め! 力で勝てない相手に正面から突っ込んでどうする。
 俺はひょいと妹を持ち上げた。じたばたする妹。
 ……どうする? このまま勝負をつけてしまっていいものか。兄としてどうなんだそれは。
 おもちを頬張る笑顔の妹が脳裏をよぎった。
 おもちを頬張る自分の顔が脳裏を上書きした。
「どっせいっ!」
 体をひねりながら妹を投げ飛ばした。下手に体勢を崩すよりも、放り投げた方がダメージは少なかろう。
 妹はどすんと地面に落ち、仰向けのまましばし呆然としていた。やがて滲み出した涙が、妹の瞳を大きく見せた。
 くそったれ……どうして正面から来やがる。俺だって、お前を勝たせてやりたかったさ。
 妹は泣き叫びながら家の中へ走って行った。小さな後ろ姿が、だぶだぶのオーバーオールが、俺の胸を締め付けた。
 俺は妹の大切なものを奪ってしまったのだ。おもちという大切な夢を……。
 ああ、俺はなんてことをしてしまったのだろう。おもちの一枚や二枚、くれてやれば良かったではないか。妹の泣き顔が瞼の裏に焼きついている。
 くそ……くそ……。
 うつむき、後悔の念が俺を襲った。
 温かいものを肩に感じた。父の大きな手だった。父は目に涙を浮かべていた。
「勝負とは、そういうものだ」
 どういうものだよ。腹の底に響く父の声に、俺は涙を抑え切れなかった。次々とあふれ出してくる。
「馬鹿。泣くな。母さんに笑われちまうぞ。それに今日のおもち様はおしるこにして食うんだ。しょっぱくなっちまうぞ」
 分かっていた。こんなことで泣くなんて男らしくないと。母に叱られてしまうだろうと分かっていた。すがるように見上げた父は微笑んだ。
「まあ、良かったじゃねえか」
 良かった? 確かに俺はおもちを食えるが、そのせいで妹はおもちを食えないのだ。それが我が一族の掟。くそったれ。こんな悲しいことがあって良いのだろうか。おもちを分けたい。おもちを妹に分けてやることは、果たして本当にいけないことだろうか。お年寄りに席を譲ることすらためらう若者が増える昨今、妹におもちを食わせてやりたいと思うことは、本当に悪いことなのだろうか。心からの質問をぶつけると、父はとぼけた顔で言った。
「何を勘違いしてやがる。今日は家族みんなで、おもちを食えるんじゃねーか」
 意外な言葉にあっけにとられてしまった。おもちに対して一切の妥協を許さない父が、一体どうしたことだろう。
 ぽかんとしていると、父は口元に笑みを浮かべた。
「当然だろう。俺はこの目で見たぜ。お前も見たろう、あいつがしっかりと『尻もち』をつくところをよ」
 ダジャレかよ。俺は言葉を失った。父は臼からざるへと、おもちを移した。
「さあ、おもち様を――まずは母さんのとこへ持ってってやろうな」
 冬の風が、おもちの匂いを巻き上げた。その風は、おもちの温かさも一緒に空高く、天まで届けてくれるように感じられた。

 

 

(おわり)

13:18 | - | - | - |

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